◇◇◇ZICを通じた競技大会の取り組みについて◇◇◇

ともすれば「取付屋」とさえ酷評される昨今の我が業界にあって、青年部の若いエナジーで取り組む物とは何でしょうか。時には、あすなろ研究会でモチベーション向上を目指したり、あるいは、地元の業務に直結する責任施工保証であったりします。

さて、競技大会での製作はどうでしょうか?課題の練習作品が役立つわけでもなく、仕事が終わってからとか、休日を割いたりしてまで取り組む価値があるのか?そういった声をよく聞きます。また、普段の仕事ではめっきり減ったハンダ付けの作業を、わざわざ炭火を熾して行う必要があるのか、細かな作業工程も日常にフィードバックしないではないか?確かにそうです。
では、これらの作業は、もう、我々の業界に必要は無いのでしょうか?これに対する答えは、皆さんがお持ちのはずです。そうです、「ノー」です。

私たちが取り組んでいる競技大会の方向性は、基本を守る、という事です。ですから、治具を禁止し、ごくありきたりの道具のみで参加していただきます。ある方向では、治具を工夫し、効率よく製品を生産するのがビジネスだという見解もあります。利益を上げなければならない企業人として、当然の思考です。しかしながら、そのとき、作業に対する基本がわかっていなかったとしたらどうでしょうか。なぜ不良品が出るのか?効率を上げるポイントは?精度を上げる要は?実はいずれも解答は競技大会の中にあります。しかも、自らが体で習得できる状態にあります。ハンダ付け一つとっても、コテの焼き具合や、どうやってハンダがなじんで銅板に溶着するのか、その結果仕上がりはどうなるのか、など、基本として身につけておくべきことはたくさんあります。普段必要ない技術だ、という意見もあります。いいえ。普段しないのであれば、なおさら取り組むいい機会ではないでしょうか?

我々は、たった一枚の銅板を加工して様々な作品を作る事が出来るのです。これは、他の業界には絶対にまねの出来ない、私たちだけの誇りなのです。その誇りを守る事が出来るのもやはり、我々しかいません。私どもの競技大会は、決して生産効率を競うのではありません。自分の腕を磨き遺憾なく発揮し、先人たちの膨大なノウハウを受け継ぎ伝える、という、ある意味業界にとって欠く事の出来ない位置づけであるのです。

つまり、競技大会とは、我が業界の最高の技能を競い合い、磨きあう、すばらしい場所であるのです。かといって、腕に自信がない、と躊躇する必要は全くありません。前述したように、仲間同士が"競い合い""磨き合う"機会なのです。果敢に挑戦する事も、決して無駄ではありません。むしろ、そうすることによって、自分のスキルが向上し、自信がつき、経験は財産となり実を結ぶ事でしょう。私たち青年部員は、くまなく競技大会に参加する権利があり、かつ、技能の継承を行う義務があります。それらが、業界の原動力であり、若いエナジーではないでしょうか。

ところで、今、競技大会は、富士教育訓練センターという会場で、設営・運営・採点のすべてにわたって、役員のみならず、各ブロックからの設営スタッフの協力を得て、まさに手作りの大会を呈しています。実は、舞台裏は、想像以上に重労働なのです。大会前日から会場入りして、設営スタッフ共々力の限り動きます。選手の皆さんを迎えるために、一生懸命準備をします。そうして出来た舞台に望んでいただく参加選手たちもまた、その舞台の一員であるとさえいえます。我々が、我々の手で、我々の過去と未来のために開催している大会。あるいは、青年部という組織の強化の一端を担って取り組んでいる事業。参加選手も、設営スタッフも、実に夢のある、やりがいのある役割だとは思いませんか。どちらも、自分にとって、青年部にとって、共に貴重な財産になる事は間違いのないところです。

筆者自らが体験したからこそ、皆さんにお伝えしたいのです。身につけた基本は年月を経ても忘れませんし、貴重な経験は血となり骨となります。何十年も仕事をしていく中で、ほんのわずかの日数です。この「与えられたカリキュラムをこなす」という行為も実は、"業務の計画的実行能力"という側面での実用性につながっているといえます。
この厳しい時代に応えていくためには、業界単位でしなければいけない事と同時に、個々で取り組むべき姿勢があると思います。攻撃は最大の防御である、との言葉にあるように、果敢に挑戦し、大いに前進していこうではありませんか。競技大会をそのための切り口の一つとして、青年部ならではの取り組みをしていこうではないですか。

原文:全板連青年部 監事 小田由紀文(04-09掲載)

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